[参考] 古い時代の回想録 鈴木銀一郎
鈴木銀一郎先生が、BBS「金羊亭」で、
回想録を連載していますので、ご案内します。
これってゲーム?! (2009年7月6日)
わたしがまだTRPGをはじめていないときのことだから、7,8年前のことだ。
JGCで、深夜のセッションに参加した。
(TRPGはやっていないといってもプレイヤーとしては時々参加していた)
二日目のことだから仕方ないともいえるが、1人は半分眠っていた。
ダイスを振るときだけ目を覚まして振るのである。
1人はどう考えても、おかしな行動ばかり。
例えば、ある回廊では、石像が襲ってくる設定なのだが、
わたしは武器をしまい、敵意を示さず通ることができた。
みんなその真似をして通ったのだが、彼だけは武器を構えて近づいたのである。
当然、石像が襲ってきてわたしは彼を救いに戻らなければならなかった。
もう1人は、自分のことだけを考えて行動していた。
わたしは自分のキャラに背景のストーリィをつけてそれを語り、
ふさわしい行動をとった。ミッションの達成にも、わたしが一番貢献したはずだった。
ところが、最後にGMがこういったのである。
「みなさんに、経験点を2点ずつ上げましょう」
わたしは心の中で、思わず叫んでいた。
「ええっ、これってゲームなの?!」
TRPGとはそういうゲームであるという定義があるなら、それでいい。
しかし、一方では経験点に差をつけるゲームもある。
そのへん、TRPGをつくる立場の人はどう考えているのだろうか、という疑問が湧いた。
どうもTRPGには議論をつくさず、なあなあで過ごしてきた部分があるのではないか、
というのがわたしの印象だった。
わたしが初めてデザインしたTRPG『モンスターメーカー・レジェンド』では、
その経験をふまえて、いいロールプレイ(いいアクション、いいセリフ)には
即座に「座布団1枚」の感覚で経験点が与えられるようにした。
しかも、経験点がたまると、セッションの途中でもどんどん
レベルアップしていくのである。
経験点はモンスターを倒したときにも得られる。このときは全員一律である。
(モンスターの数とレベルで判定する)つまり、前衛で戦った者も、
後衛で癒しに回った者も、評価はおなじというわけだ。
これはそれなりの評価を得たが、完全に成功したとは思っていない。
自分でGMをやったとき、PL間で経験点に差がつきすぎる傾向になると、
どうしても少ない人に甘い評価になってしまうからである。
その弊害がなくせるなら、またそのシステムを使ってみたいとは思っている。
鈴木銀
RPGが日本に渡来したころ (2009年7月7日)
古い、古い時代の話をしたい。
『D&D』が日本でプレイされ始めたころ、
わたしはサラリーマンとしては編集委託会社の編集長という役職をこなしながら、
その当時ブームになっていたシミュレーションゲームのデザインチームを
主宰するという、二股をかけた日々を送っていた。
編集長としては残業時間100時間を越える業務があり、
とても『D&D』をプレイする時間はなかった。
わたしはデザインチームのメンバーにプレイしてその結果を教えてくれといった。
報告は「これひどいですよ。やたらと死ぬんです」ということだった。
アトリエサードの徳岡さんの見解では、
『D&D』は当時のベトナム戦争の影響を色濃く受けているのだという。
つまり、ダンジョンというのは、
「アメリカ人にとって、『そこにある戦場』以外の何ものでもなく、
レベル1のキャラクターがばたばた死んでいくのは不思議でも何でもない」
というのである。
(徳岡さんというのは、戦争と、歴史と、ゲームにめちゃめちゃ詳しく、
この3つがからんだ評論はこれまためちゃめちゃ面白い)
だから、日本とアメリカとでは、RPG(当時はTRPGという言葉はなかった)は
別の発展を遂げることになる。
ストーリィ重視、ロールプレイ重視のRPGは、日本独自
(1000年以上前から我々はそうしてきたのだが)の文化なのである。
ただ、当時はそんなことは知らないから、わたしの第一印象は
「『D&D』というのはユーザーフレンドリィではないな」というのものだった。
ただ、RPGがシミュレーションゲームの進化したゲームジャンルだということは
分かっていた。
アナログゲーム界には、20世紀後半に4つの大きなイノベーションがあった。
第1はシミュレーションゲームで、盤・駒に非対称性を導入することによって、
ゲームが現実を模することを可能にしたのである。
(それまでのゲームは将棋・チェスのように、盤・駒は対称であった)
しかし、シミュレーションゲームは、現実を模するという内在するトラップに
自らはまることによって、第1次のブームは長く続かなかった。
それは、より現実に迫ろうとすると、ルールの複雑化、
駒のの細分化が避けられなかったからである。
その結果、ルールブックは厚くなり、駒の数は膨大になった。
その方がよりシミュレーション性が高いという認識があったからであろう。
ついにはプレイ不可能といわれるゲームまで市販されるようになって、
ブームは終わった。
RPGは、(歴史の流れからして)その1つの解決策として生まれた。
それは、ルールを複雑化するのではなく、逆にルールをなくしてしまうことによって、
シミュレーションゲームが果たせなかった現実化を果たそうとしたのである。
RPGのルールとは、極言すれば
「プレイヤーは自分の好きなように行動を選択できる。
その成否は、GMが判断する」
というものである。
ただ、GMがあまりにも恣意的に判断するとゲームとして成立しないので、
その判定基準がシステムとして存在するのである。
これが第2のイノベーションである。
当時、RPGをプレイしたのは全て(といっもいいだろう)
シミュレーションゲーマーだった。
かれらは、RPGの中にシミュレーションゲームが見失った「現実の実現」を
感じとっていたのである。
わたしはその後まもなく、
副業をもっているということで会社を辞めざるを得なくなり、
翔企画という小さな会社を設立する。
わたしは『ダンジョンズ・ディープ』というRPGの入門書を見つけ、
その翻訳権を取り、わたしが訳し、わたしの会社から出版した。
鈴木銀
第3、第4のイノベーション (2009年7月8日)
第3のイノベーションは、カードゲームの『モンスターメーカー』である。
それまでのゲームでは、魔術師は単なる「魔術師」に過ぎなかった。
それが『MM』では、固有名詞が与えられ、固有のイラストがつき、
固有のレイティングをもつことになった。
これ以後、カードゲームだけでなく、ボードゲームでも駒は
すべてキャラクター化されることになった。
第4の、そして最大のイノベーションが、『マジック・ザ・ギャザリング』である。
それまでのゲームにおいて、情報は全てメーカーが発信していた。
それがユーザーであるプレイヤーが自分で使用するカードを自分で選ぶという
ユーザー発信情報のゲームになったのである。
しかも、このゲームのすごいところはデザインの当初から1回のプレイ時間が
45分以内に設定されていたことである。
45分なら、4時間あれば16人のトーナメント戦を運営できる。
32人で5時間。64人で6時間。
ユーザーに多額の出費を強いる代わりに、メーカー主催のトーナメント戦に賞金を出す。
つまり、ビジネスモデルが想定され、
ゲームシステムもそれに沿う形でつくられていたのである。
その想定通りに、『MTG』は売れに売れた。売り上げたセット数は、
それまでのゲームとは2桁以上は違った。
流通形態まで変えてしまったのである。
今、カードゲームの『ドミニオン』が流行っているのは、
明らかにトレーディングカードゲームに対するアンチテーゼであろう。
鈴木銀
『モンスターメーカー』カードゲーム (2009年7月9日)
以下は何度か書いたり、しゃべったりしたことなので、
いささか気が引ける点もあるのだが、古いことを書き始めてしまったので、
許していただきたい。
今からほぼ20年前。
毎週定点観測のために訪問していたゲーム関係の卸店で、
「最近ファンタジー系のゲームと、カードゲームが割りに好調だ」という情報を得た。
「では、ファンタジーカードゲームをつくれば売れるのではないか」と思ったのが、
そもそものきっかけだった。
企画書をつくって付き合いのあった玩具メーカーに提出したが、
ボツになってしまった。
(A4 1枚の企画書だったので、検討しようがなかったのだろうと、今では思っている)
「それならウチ(翔企画)でつくって売ろう」ということで、デザインを依頼した。
わたしの頼み方が悪かったのだろう、できてきたゲームは詰め込みすぎで、
わたしのイメージとはまったく違うものになってきた。
もう9月になっていた。これでは暮れの商戦に間に合わない。
「仕方がない。自分でデザインしよう」
ダンジョンを行って、宝を発見し、帰ってくる。
それを邪魔するのはモンスターで、モンスターを排除するのはキャラクター。
基本の腹案はあったので、デザインは3日でできた。
それをテストプレイのチームに預け、絵描きさんを探した。
最初に頼んでイラストレイターさんは、一度承諾してくれたが、
3日後に別の仕事が入ったということで断られた。
もう誰でもいいという気分になりかけたとき、紹介されたのが九月姫さんだった。
サンプルを出してもらって、すぐ決めた。
「ただし、ドラゴンはあまりコミカルにしないでください。
キャラクターの瞳は白目ではなく、色を入れてください」というのがダメだしだった。
『モンスターメーカー』は九月姫さんのイラストと、
時代の要望にたまたま合って幸運にもヒットしたのだが、
キャラクターを「魔術師」や、「戦士」といった記号にはしないという
コンセプトだけは貫いた。
だから、デザインは3日でも、キャラクターの名前を決めるのには2週間以上かけた。
もう1つ、女性キャラも男性キャラ並みに強くしたことだ。
また数もシーフや、ドワーフ以外は同数にした。
「男女雇用機会均等法」を実現した最初のゲームになったのである。(笑い)
初版は4000セット。発売は12月14日。
ぎりぎりクリスマス商戦に間に合ったというところだ。
初回の注文は芳しくなかったが、
1週間もしないうちにリピート注文がどんどん入ってきて、年内に完売した。
(売れなかったら、翔企画の経営は重大な局面を迎えるところだったのである)
今年の12月が、20周年。月日の経つのは早いものだ。
鈴木銀
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