[参考] 門星明華学園レポート 0-5 鈴木銀一郎
鈴木銀一郎先生が、BBS「金羊亭」で、
新しいTRPGの開発レポートを連載していますので、ご案内します。
門星明華学園 (2009年6月19日)
RPG『門星明華学園』をデザイン中です。
これまでわたしがデザインしたTRPGは、GM目線でつくっていたのですが、
今度の『門星明華学園』はあくまでもプレイヤーの目線でつくっています。
そのせいか、テストプレイの評判も上々です。
9月のJGCで先行発売の予定。
JGCのライブRPGも、『門星明華学園』で決まりました。
ご期待ください。
鈴木銀
門星明華学園レポート 1 (2009年6月27日)
今、TRPGをつくっている。
タイトルは『門星明華学園』(仮題)。
モンスターメーカーでハリーポッターとごくせんをやろうというのが狙いだった。
しかし、ハリーポッターはいいとして、
ごくせんの面白さをTRPGでどうやって表現したらいいのか。
テレビを見ている人は、みんなヤンクミに肩入れして見ているから問題はないが、
TRPGではプレイヤー全員が教師になるわけにはいかない。
当然、オチコボレの高校生になるわけだが、果たしてそれが面白いかどうか。
では、オチコボレとはいったいどういうことか。
メインスタッフの河村くん、浅沼くんと、
それを明確にする話し合いからゲームデザインが始まった。
このゲームコンセプトについての打ち合わせは、
(途中からテーマは変わったが)何と半年続いたのである。
鈴木銀
門星明華学園レポート 2 (2009年6月27日)
一念発起して、毎日日記を書こうと思っている。
いつまで続くか。
続けためには、あんまり気張らないこと。
小説と同じで、毎日とにかく書くことをモットーにすることにしよう。
河村、浅沼両くんの言葉によると、わたしはオチコボレだったことがなく、
だからオチコボレのことを知らないという。
「ええーっ、どうして?わたしは35ぐらいまで典型的なオチコボレだったのに」
「でも、ギンチロさんは『だるい』、『疲れた』、『面倒くさい』という言葉を
口にしたことがないじゃないですか。
それはオチコボレじゃない証拠なんですよ。
俺らはオチコボレの高校にいたから、よく分かるんです。
オチコボレはエリートのやることを気にしませんよ。
俺らのことはほっといて勝手にやってくれって考えてるんです」
確かに、わたしは「だるい」、「疲れた」、「面倒くさい」といった言葉はきらいで、
使わないようにしている。
それを指摘されたのは初めてだったので、
かれらの言葉に一定の評価をせざるを得なかった。
「俺たちがオチコボレと思っている連中を主人公にした漫画があるんですが、
読んでくれますか」
河村くんが貸してくれたのは
「キューピー」と呼ばれる「不良」たちを描いたコミックだった。
それはそれなりに面白かった。
ただ、それが典型的なオチコボレであったなら、
かれらをPCとするTRPGは全く違ったゲームになってしまう。
今は、メインスタッフと九月姫さんとで、門星明華学園の制服などについて、
打ち合わせ、および、その後の一杯から帰ってきたところである。
今日はこのくらいで止めておくことにしよう。
鈴木銀
門星明華学園レポート 3 (2009年6月28日)
オチコボレについては、わたしにも
「ラーメン屋のばか息子をゲーマーがプレイしたがるわけがない」
ということは分かっていて、
そこをどうするかがこの企画のポイントだということは、最初に宣言していた。
そこで、オチコボレといっても、特殊な能力をもっていて、
そのため他の級友から多少白眼視されているという設定にした。
その能力とは、1対1では、ディアーネや、アルシャルクといった由緒ある家系の
キャラクターには勝てないが、4対4のような場面では、
仲間どうしで心を一つにするとすごい力を発揮するというものである。
このへんの共通認識ができたあたりで、3か月がたっていた。
去年のJGCが終わってから会議を始めたので、もう12月に入っていた。
こんなことで次のJGCに間に合うか、多少心配になってきた。
鈴木銀
門星明華学園レポート 4 (2009年6月29日)
ずいぶん前のことだと思うが、
TRPGのリプレイで「楽屋オチ」で笑いをトルという傾向があった。
わたしはそれが大嫌いだった。
今考えると、わたしがTRPGをやらなかった理由の一つであったかも知れない。
やり始めてからも、しばらくの間は、
笑いより涙の方が高級だというような印象があった。
『ナイトメアハンター・ディープ』が発売されて間もなく、
わたしは大阪のコンベンションでGMをやり、
2人のプレイヤーを泣かしたことがあった。
子どもを亡くした母親のセリフのときで、
「おっ、すごいロールプレイング」という声も聞こえた。
でも、そのときわたしが感じたのは「これは違う」という思いだった。
なぜそんな気分になったのか、そのときは分からなかった。
でも、今なら分かる。
「プレイヤーたちは、システムや、マスタリングではなく、
単にわたしの口調に感動しただけなのだ」
ということである。
それが「これは違う」という思いに現われたのだ。
それ以来、わたしはそのシナリオを封印した。
次にやったシナリオでは、
「ダメ親父」の執念がナイトメアとなり、
最後にラスボスとしてガンダムを出現させるというものだった。
それまでのわたしのシナリオと違って大爆笑となった。
その辺でわたしは変わったのだと思う。
笑い?大いに結構。楽屋オチなんてさもしいものでない限り、
涙より下なんてことはない。
みんなで笑うことは楽しいし、ストレスも発散するし、
少なくとも、ポジティブな記憶として残ることになる。
もう1つは、システム重視である。
ゲームの面白さをGMのテクニックに頼ってはいけない。
あくまでシステムの中に組み込んで置かなくてはならない。
『門星明華学園』は、システム重視、爆笑重視のゲームにしなければならない。
初めてプレイしたゲーマーが、
これならGMができそうだと思えるゲームでなければならない。
もちろん、それに反対するスタッフはいなかった。
鈴木銀
門星明華学園レポート 5 (2009年6月30日)
セイクリッド・ドラグーンのリプレイ
システム重視の方針が決まったころ、
R&Rの『スピタノ・コピタノ』のリプレイに参加した。
ゲームは『セイクリッド・ドラグーン』。
GMはデザイナーの力造さんである。
『セイクリッド・ドラグーン』は、
わたしが考えていたシステム重視のTRPGの見本のようなゲームだった。
(そのときのことは『R&R』に連載している『銀爺のゲーム三昧』にくわしく書いた)
プレイヤーは、全員ドラゴンと戦うことを義務づけられている。
また、戦闘に関しても、
ダイスの目をプールしてある4つのダイスの目と交換できるなど、
工夫をこらしている。
このゲームをプレイして、
わたしの頭の中に「プレイヤー目線」という言葉が浮かんだ。
それまでわたしがデザインに関与したゲームは、
全てGM目線でつくられていた。
しかし、『門星明華学園』は、「プレイヤー目線」でつくらなければならない。
また、ダイスの目を交換できるというシステムも、わたしの心を捉えた。
「このシステムはさらに進化させることができる」
『セイクリッド・ドラグーン』では、
プールしてあるダイスはあくまでもプレイヤーひとりひとりのものである。
これをプレイヤー全員のものとしたら、
自然にプレイヤー同士の連携が生まれるのではないか。
このころ、意識的にわたしと河村くんはいろいろなゲームをプレイした。
その中に(タイトルは忘れたが)、ダイスをたくさん振って、
プレイヤーのクラスに合わせた役をつくって戦闘するというゲームがあった。
「これは使えるね」
と、わたしはいった。
そんなこんなの中、河村くんは「六芒星魔方陣」というツールをひねり出した。
六芒星の頂点には「剣」、「型」、「匠」、「術」、「幻」、「竜」
という文字があり、それぞれ1~6のダイスの目に対応している。
「剣」は「剣士系」、「型」は「格闘家系」、「匠」は「射撃系」、
「術」は「魔術師系」、「竜」は「癒し系」、「幻」は「召還師系」である。
六芒星魔方陣には6個(以上の)ダイスがプールされていて、
戦闘のときは全員がダイスを振り、順にプールの目と交換ができる。
だれからどう交換していけば、全員にとって有利になるのか。
「プレイヤーは自分が得になることなら、喜んでするんですよ」
と、河村くんがいった。
彼は日本で初めて「リプレイヤー」という肩書きの名刺をつくった男である。
つまり、根っからの「プレイヤー目線」のデザインスタッフであったのだ。
彼のいう通り、最初のテストプレイで、
プレイヤーは「だれから、どう交換するか」にみんなで頭を絞った。
もちろん、最初から完成しているシステムではなかった。
しかし、練り上げれば非常に面白くなる可能性を秘めていた。
また、見た目も魅力的だった。
わたしは、この六芒星魔方陣を戦闘システムの中心に据えることを決めた。
鈴木銀
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